INFPの僕はたまにカウンセリングに足を運んでいます

こんにちは、しんいちです。

このブログを見ていただきありがとうございます。

少しでもあなたのお役に立てれば嬉しいです。

数年前にキャリアコンサルタントの勉強をしていました。

そこで人の話を理解しようとして聞く「傾聴」という手法を知り、

傾聴を専門としている職業がカウンセラーだと知ります。

そして、傾聴をしてもらうことで自己理解が進むことも自分自身が経験したため

定期的にカウンセラーさんのところにお話をしに行ってました。

最近気がついたことは、僕は世間から評価される人物像を作り上げて

そこと比較することで一喜一憂しているということです。

僕に限らずINFPのかたはそうゆう節があるのかもしれないと思いシェアします。

人物像を作り上げているとはどうゆうことかと申しますと、

僕は小さい時から内気でした。恥ずかしがりなところもあって人見知りのほうだったと

思います。

成長していくなかで、親からは「もっと男らしくしなさい」などと言われたことがあります

学校でも友達がたくさんいて、みんなの中心にいるような人、自分の意見をみんなの前で

はっきり言う人が評価されているように感じていました。

社会人になってからもそうです、サラリーマンたるものどんどん人を巻き込んで仕事をする

ようなことを言われることもあって、

自分のなかで、人から求められる人物像をどんどん作っていっていました。

僕の場合は、その人物像とは素の自分と比べて真逆のような性格な気がします。

少しでもそうならないといけないと思い、努力していました。

そのことを改めて気づくことができたのはカウンセラーさんのおかげです。

求められる人物像を作っている問題に気がつくと、そこになろうとする努力は

素の自分にとっては茨の道だったのかもしれません。

なにせ、その理想に届かなければたちまち自己否定の沼地にはまっていくからです。

しかも理想はものすごい高いものに設定していることが多いような気がします。

そしていつまでもそこに至らない苦しみや、至った場合でも他人から評価されなかったりすると

もっともっとさまよい続けるのではと思います。

そうやって目標に向けて努力するから成長していくのだと思われるかもしれません。

僕はそれは「健全な努力」ではないと考えるのです。

裏を返せば、今の自分では評価されないということを刷り込ましてしまうような気がします。

本来の努力とはそんなもののためにやるものではないと思うのです。

半ば脅迫的に「ならなければならない」と思ってやるのは努力ではない気がします。

「なりたい」人物や成し遂げたいことに対する行動をしたいものです。

そしてそれは努力という言葉はふさわしくないのはないでしょうか。

きっとそれは自然と行動ができると思いますし、そこには努力とも思わないでしょう。

そうゆう「健全な努力」をできることを見つけれるとよいなと思います。

支離滅裂かもしれません、カウンセリングで思いついたことも多々ありまとめきらないです。

ただし、これだけは意識してみてください。

いま「努力している」と思ってやっているものは、なんのためにやっているでしょうか?

こうならないといけないと思ってやっているといつか苦しくなるかもしれません。

社会や上司は責任をもってはくれません。

あなたの人生がうまくいくことを応援しています。